2045年には3人に1人が高齢者という割合になると言われています。
高齢者のうち1割は認知症とも言われています。
自分がいつ介護される側、介護する側になるかわからない時代ですね。
自分の母親は介護士として働いています。
仕事の話を聞く機会があるので、どのような働き方をしているのか知ることができます。また、地元にいたころは母親の職場のイベントにお手伝いとして参加したこともあるので、どんな接し方が必要なのか?少しだけですが実体験しました。
接し方、関係性の築き方について考えさせられた記事がありました。
記事でとても印象に残ったのは以下の一文。(引用)
介護は1対1の微妙なバランスの中で成り立つ仕事なので、しっかりと自己主張をしていただくことで、その人が何を望まれているのかはっきりとわかります。逆に、何が不満なのかもわかれば、やりがいも出てきますし、達成感もあります。
介護する ≠ お世話する(”介護する”とは”お世話する”ではない)
だと考えさせられました。
改めて考えると、お世話をするってコミュニケーションが一方通行な気がするんです。
子供のお世話をするとか、動物のお世話をするとか、自分がしたことに対するリアクションが言葉としては受け取りにくい。「こうしてあげたいな」「こんなことを考えてるんじゃないかな」とお世話する側が考えて行動する。
あ、決して”お世話をする”が悪い事と言ってるわけではないので誤解しないでください。
“介護をする”って、何もリアクションが返ってこないわけではない気がするんです。
母親の話を聞くと、確かにコミュニケーションが取れない方もいらっしゃいます。
でも、嫌なものは嫌だという主張があったり、おいしいものに対しては「おいしい」という言葉が返ってきたり。
そう考えると。
そう考えると、介護というのは理不尽なことを言われるケースももちろんあると思いますが、お互いに”コミュニケーションを取る”という視点で考えれば、当然のように起こりうるものと許容できるのかもしれません。
ここで、”コミュニケーションを取る”という表現をしましたが、コミュニケーションを取るって言葉と言葉のやりとりを指していません。
ここでは”コミュニケーションを取る”というのはお互いが思っていること、考えていることを表現する(言葉や態度で)ことと定義しています。
つまり、介護する人と介護される人の関係性って、
一方通行のコミュニケーションではなく、お互いがコミュニケーションできる
という関係性を築くことが理想なのかなと考えさせられました。
そう考えると、”介護”だからと別問題として切り分けるのでなく、日常生活で出会う人とのコミュニケーションも同じ形、同じ関係性を築くことが重要なんだと思います。
自分から歩み寄ってみる。
難しいですが、築き上げるための初めの第一歩は本当に大事だと思える記事でした。