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これから必要なことは「論破」ではなく「打破」ではないか?

どうも、佐々木(@moto_ssk)です。

 

山口周さん(@shu_yamaguchi)の著書『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』を読みました📖

ここ最近読んだ本のなかで最大級におもしろかったので、鮮度が高いうちに書き残しておきます。

👆のツイートはそのひとつです。

なにやらむずかしげに書いてますが、要は、これから必要なことは「論破」ではなく「打破」ではないかと思ったんですね。

たとえば、本書を表すひとつのキーワードに「正解のコモディティ化」があります。

どういうことかというと…論理的、理性的な情報処理スキルに限界が見えてきており、「論理」や「理性」が導き出す結論は誰かと同じになると。

手順化されたもの、形式化されたものは再現性が高く、コピーされるということですね。

では、一方でコピーできないものとは何か?

山口さん曰く、「直感」や「感性」であると。ひいては「美意識」であると主張しています。

本書を通して、僕が感じたのは物事を「思い込み」フィルタに通し過ぎているということです。

目の前にコインがあったとして、表面と裏面しか見えてないといいますか。コインの側面も見れるはずなのに「見れること」自体に気づけていないといいますか。

自分が「思い込んでいる情報」にすぐ補正するし、似たような概念とすぐ結びつけて理解した気になってんなと。

たとえば、👇のFedExのロゴを見て何か気づくことはありますか?

fedex

(出典:Wikipedia

どんなことに気づきましたか?色が紫とオレンジ?ただのロゴじゃん?

では、「E」と「x」の間が「→」のように見えることに気づきましたか?

こういうことでした。僕が言いたかったのは。文字ではなく図として見る感じ。

いろんな情報に触れることで、ある程度モノの見方は固定化されていると思うんですよね。

そういった自分のなかに固定化された情報で論破するのではなく、「思い込み」を打破することがこれからますます必要になってきてるように思うんです。

「FedEx」を文字として見るだけでなく、図形として見る余裕を取り戻す必要があるんじゃないかと。子どものころのように。

誰かが発信した「正解」を無批判でファッションとして取り入れるだけならマネキンと一緒です。

できないんじゃない やってないだけさ

未来の扉 そこにあるのに

僕は何度も誘う

生まれ変わるのは君だ

改めて、ここ最近で読んだ本のなかで最大級に面白かったです。

少し視点を変えたい…という方はぜひ手にとって読んでみてください📖