少し前に、東京大学への合格者が多い学校には中高一貫校が多いと記事にしました。
参考にした記事の中では、中高一貫校は高校とは違い大学受験までに時間的余裕があることもあり、点取り教育でなく教養を身につける教育ができるからだという見解が述べられていました。
今回取り上げるのは、前回と同様に東京大学への合格者が多い学校についてです。
しかし前回と違う点は男子校や女子高が上位を占めるというもの。さっそく見ていきます。
記事の中に以下の文章があります。(以下、引用)
しかし、成績上位校に男女別学校が多いのは日本だけの傾向ではない。イギリスでも韓国でもオーストラリアでも、男女別学校の生徒のほうが共学校の生徒よりも総じて学力が高いことがわかっている。
世界的に見ても男女別学の教育スタイルには一定の効果があるようです。しかも、海外の研究結果によると、教育男女別学の方が「男らしさ」「女らしさ」といった固定概念に捉われにくいそうです。
捉われにくいというのは少しわかります。
自分は高専出身で、男女比が9:1のクラスで5年間過ごしました。クラスメートに共通していた行動基準(バイトや遊び、勉強に対しての)は自分はどうしたいか?だったように思います。今振り返ってみると、男ばっかだし、変に他人からの見られ方とかを意識する必要がなかったからかなと思います。自分基準でいいので、まあ頑固な人も多かったです(笑)
記事の中で面白かったのが、男女別学の運動会の話です。
男子校の運動会は「組対抗」に対し、女子校の運動会は「学年対抗」で行うそうです。理由は記事の中にありましたので、引用します。
男子は「命令」によって縦型の組織を作るのが好きだが、女子は「共感」によって横型の組織を作るのが好きということだ。
組対抗は言うなれば縦社会の縮図な感じ。上級生から下級生が1つのチームとなって勝ちを目指す。一方で学年対抗は横の繋がりを重視したチーム編成。勝ち負けは二の次で協力して取り組んだというプロセスに喜びや楽しさを見出す感じ。
これは男女の脳の構造に起因しているのかもしれませんね。女性同士の口コミが拡がりやすいことや効果があることも「共感」がキーワードになっていると思いますし。
男女別学はある意味、男性と女性の特性を活かした教育が実践できているのかもしれません。
しかし、学校教育に求めるものは勉強できることだけでなく、1人の人間として人格を育てることも含まれると思います。男女別学の場合は異性に触れる機会が少ないという点から考えの偏った人格形成がなされるという懸念も事実あるようです。
実際、記事でも以下のように書かれています。(以下、引用)
男女別学か共学かの議論は、ジェンダー論だととらえられがちが、実はこの議論を突き詰めていくと「学校にどこまでの機能を求めるのか」という話に行き着く。もともとは大家族や地域社会が担ってきた、異性とのコミュニケーション能力育成の場としての役割を、学校がそっくりそのまま引き受けるべきなのかどうか。これは社会が学校に求める機能に関する問題であり、本来ジェンダー論とは別次元の議論されるべき事柄だ。
高専で過ごしていたころは、もっと女性と話したいなとかモテたいなとか、女性と交流する場を求めていたことはありました。(高専は男女別学ではありません。)
自分の場合は求めているだけで行動まで起こすことはできませんでしたが、モテる友達やモテたい友達はバンドを始めたり、髪を染めてみたり、モテる努力をしていました。
異性とのコミュニケーションは確かに重要ではありますが、必要性や欲求を感じていない状態だと、逆に”めんどくさい”と感じてしまうものなのかもしれません。
そして、何よりも人格形成に必要なことは異性とのコミュニケーションだけではありません。親世代との交流やじいちゃん・ばあちゃん世代との交流だって人格形成に必要です。
教育機関の中には、男女共学だが授業は男女別で実施しているという機関もあるようです。
記事のまとめにもあるように、教育機関にどこまで求めるか?という議論が別途必要だと思いますが、個人的には何から何まで教育機関に求めなくてもいいのかなと思います。
感受性豊かな10代を過ごす教育機関は人格形成に重要なファクターであるとは思います。思いますが、教育機関によりすべてが決まるわけではないと思います。
大事なのは教育を受ける当事者自身が自ら学ぼうとすることだと思うので。