内に秘めた熱い想い
というフレーズあると思いますが、秘めてても仕方ないと思ったります。
なんでかと言うと、周りに熱い想いは見えないからです。単純に。
想いがあるなら話す、書く、歌う、体を動かす、みたいに表現したらいいって思うんです。
日常生活を送ってたら、〇〇したい!って思うことってよくあると思うんです。
上で紹介した記事の中にもこんな一説がありました。(以下、引用)
それ食べたいなって思って、普通の人は「食べたいな」って思ったまま記事をブックマークして忘れちゃうんですよ。下手したらブックマークすらしないんですよ。「食べたい」って思って、終わり。そこから1歩進んで、食べログの食べたいリストに登録したり、予約してみて実際に次の日曜日に行ってみるとか。
WANTがポッと芽生えても、DOの行程になかなか移らないですよね。
もちろんWANTの熱量にもよるので、何でもかんでもDOにはならないのも承知です。
ただ、DOしてしまえば、それらは全部EXPERIENCEになりますよね?
経験はネタになります。話のネタや記事のネタなど、発信材料になります。
自分の場合ブログを始めた事がある意味トリガーになって、WANT⇒DO⇒EXPERIENCEの流れを意識できるようになったと今になって思います。
DOのフェーズっていろんな障壁があると思うんです。
など。趣味程度のレベルならそこまで深刻に考えないと思いますけど、これが仕事とか比較的重要度の高い機会とかになるとより一層考えてしまうと思うんです。
でも、唯一明らかなのは未来には行けないことです。未来には行けないのでDOの結果は知るすべがないです。逆に言えば結果がどうなるかなんてやってみないことにはわからないということ。これは誰だって納得できます。
だったら、ある意味開き直りも必要だし、固くなりすぎなくてもいいと思えませんか?
DOしてうまくいかなかったら、うまくいかない方法を知ることになるし、うまくいけばなんだかハッピーな気分なるし。
もちろん何でもかんでも行き当たりばったり、見切り発車は改善のしようがないのでそこはしっかり準備しないといけませんが。
こんだけ準備してうまくいかなかったら仕方ないかって思えるかって大事な感覚です。
冒頭に紹介した記事を読み終わって、真っ先に思い浮かんだのが見出しの内容でした。
秘めてても仕方ない。「僕もそう思ってた」「これっておもしろいと思うんだ」と口先だけでは誰も相手にしてくれないよなあと。
自分自身もまだまだですが、DOして終わろうといつも決めてます。
いきなり大きな事はできないので小さな事からDOして終わるを意識してます。
仕事で言えば、わからない部分はきちんと聞く!とか、思い込みや認識違いがないように敢えて確認メールを入れておこうとか。本当に些細なことですけど。
でも、些細なことを重ねていくとそれは習慣になりますし、無意識になると思うんです。
わからない部分はきちんと聞く!であれば、聞き方を学ぶことになると思います。
確認メールを入れておく!であれば、メールの書き方を学ぶことになると思います。
熱い想いも、自分から口に出したり、紙に書いたりしないと結局自分の外には出てこない。
出てこない限り、人目に触れることもない。
誰のためって結局自分のためになると思うんです。
経験値貯めることが生きるってことなんじゃないかなあって今思いました。