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「君の膵臓をたべたい」は、読書を映像化したような作品だった

「君の膵臓をたべたい」は、読書を映像化したような作品だった。

どうも、佐々木(@moto_ssk)です。

年間100本くらい映画を観るって話を前にしたんですが、邦画はあんまり観ません。

なぜかというと、僕が映画に求めるのは非日常感だからです。

知ってる俳優さん、知ってる言葉、観たことある風景を観ると、どこか「日常感」が強くなってしまって、映画を観たって気分になりにくいんですね。

ところが、「君の膵臓をたべたい」の日常感はなんとも絶妙で…。今日はそのことを。

👆のツイートで添付してる現代ビジネスの記事が要約みたいな感じです。(ただ、ネタバレ含んでますのでご注意を)

お涙頂戴系の内容なのかなと思ったんですが、決してそんなことはないです。かといって青春ラブストーリー系でもないです。なんというか、僕らの日常を切り取った「日常感」溢れる作品でした。

「え、さっき『日常感』強くなるから、邦画観ないって言ったじゃん…」

って思いましたよね。はい、この映画を観た後でもその意見は変わりません。

というのも、僕にとってこれは映画というより、読書の延長線上って感じがしたんですね📚

劇中の主人公たちは図書委員、場面の多くも図書館、そして数多くの本が登場します。

本を読んだ主人公たちが本の一部を引用したり、本で得た情報をもとにやりとりしたり、そんなシーンを見てるうちに、読書が映像化してるっていう感覚になったんですね。

僕ら自身、本を読んで学んだこと、得たことって日常生活に反映させてみたりするじゃないですか?

偉人伝を読めば偉人の考え方を真似してみたり、物語を読めば登場人物のひとりに自分を重ねてみたり、自己啓発系を読めば翌日から早速試してみたり…という感じで、読書の世界を日常でも展開してみるってあると思うんですね。

「君の膵臓をたべたい」では、まさに目の前でそれが行われているって感じがしたんです。

それもあって、「読書が映像化してる」という表現をしました。

僕の好きな作家さんは、喜多川泰さんです。

彼の講演会に参加したとき、読書について話していたんですが、そのときの話は今でも印象に残ってます。

読書って読んで終わりじゃないと思うんです。読んで自分が何を感じたのか。その感じたことを胸に、どんな行動を起こすか。行動を起こすきっかけを作ってくれる、そこまでが読書なのかなと。

本の世界と日常に梯子を掛ける、それが読書の面白さなのかもしれません。

「君の膵臓をたべたい」は僕にとって、読書の面白さを再認識させてくれた作品でした。

そして、さっそく原作を読んでますw

(photo by 映画『君の膵臓をたべたい』オフィシャルサイト)