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Matzに倣う「僕は僕、あなたはあなた」の小気味良さ

無理に受け入れらようと思わなくていい

どうも、佐々木(@moto_ssk)です。

話を聞くたびに「なんだか楽しそうに話をしてるよなあ」といつも感じるのがMatzです。

MatzとはRubyの生みの親である、まつもとゆきひろさん(@yukihiro_matz)のことですね。

今日Matzのインタビュー記事を読んだんですが、それはテキストベースでも感じ取れました。

僕とMatzには共通点があるんですよ。

それが、鳥取県米子市出身ということ。

Matz👉Ruby👉島根、の流れで島根県出身と勘違いしてる方もいらっしゃると思いますが、正しくは島根県松江市在住で、出身はお隣の鳥取県米子市なんですよ。

地元の有名人なんですね。

かく言う僕も実は勘違いしてまして…初対面のとき「え!?米子なんですか!?」とご本人の前で超驚いてしまいました…(大変失礼しました🙇)

そんなときでも「米子です〜」と笑顔で受け答えしてくださる寛大さをお持ちです。

Matzの講演はこれまでに何度か聞いたことがありますが、毎度思うのがテンポの良さです。

講演の名目上「Rubyのこれから」的な話をよく聞きます。どうしても技術ベースな話なんですが、技術話特有の無機質さをあまり感じないんですよね。

技術の話って話し方が少し変わるだけで、「ワクワク」か「ただ眠いか」に分かれるんですよね。

当初は、Matzに対してもRubyの生みの親ということもあり、カリスマ性も高く、超ロジカルで淡々とした話し方をするのかなと思ってたんですが、実際に話を聞くと冒頭でも紹介したように「いつも楽しそう」なんです。

技術の話が多いにも関わらず、聞いてるこっちまでワクワクするというか。

で、それはなんでだろうと考えた結果、個人的に行き着いたのが「好きである」ということです。

ただ、「好きである」ことの話は往往にしてつまらないと感じることも多いです。

ではなぜ、同じ「好きなこと」を話してるはずなのに、一方では「つまらない」と感じ、もう一方では「聞いてるこっちもワクワク」という違いがうまれるのか?

それは、「好きを強要しない」からかなと。

好きなことを話すときって、自分の好きなことを認めて欲しい、知って欲しいという欲が生まれますから、どうしても「わかってもらいたい」という想いが強くなります。

想いが強くなると、相手の様子を伺うことより「とにかく伝えたい」が勝ります。

その結果、相手を置き去りにした話しかできないということになりがちなんですね。

ところがMatzの話を聞いてると「僕は僕、あなたはあなた」という印象をすごく感じるんですね。

良い意味で冷めてるというか、割り切ってるというか。

今回のインタビュー記事を読んで、「ああ、やっぱりそうなのかな」と再認識した次第です。

Matzはこんなことを言っています👇

いや、Rubyはあくまで趣味でつくったオープン・ソース・ソフトウェア(OSS)なので。特に最初の数年は、別にポシャッても構わないと思っていました。「わたしが趣味でつくりました。インターネットの皆さん、どうぞおすそ分けです」ということですから。

「好きなこと」を他人に受け入れてほしいと思う必要はないというメッセージだなと。

「好きなことがない」というのは、裏を返せば何かにのめり込むほど没頭した経験がないということかもしれません。もしかしたら、無意識に他人が受け入れてくれるかを気にしてるかもしれません。

Matzに倣えば…

他人に受け入れてもらいやすい「好きなこと」を無理に探さず、まずは自分が楽しむ!
そして、おすそ分け!

ですね。

【追記】Matz本人から直々にリプライ

👆の内容について、Matz本人から直々にリプライをもらいました。

違うことは当たり前なので、違うことを排除するのでなく受容するというスタンスは小さいときに作られたんですね。