昨日は学生NPOで一緒に活動した同級生と久々に会ってきました。
彼はユーモアのあるキャラなんだけど根は真面目(だと思うw)。仕事だけじゃなく、休みの日はスポーツしてたりと活動的な一面もあります。Twitterを見てたら偶然彼のツイートが流れてて、AIリストラに関する内容だったのでちょっと気になって連絡した次第です。
彼は大学卒業後、小売業に就職しました。小売業からAIはどう映るのか、そのあたりを話してきました。行き着いたのは“動く”でした。
彼は小売業の中でも大手に進みました。社会人2〜3年目の頃に出会ったときは大手らしく年々順当にステップアップしていて、そんな彼を見るとステップのわかりやすさに羨ましさを感じたりもしました。(組織内において、長期の目標と短期の目標を立てやすいという意味で)
一方、大きな組織だからこそ細かいステップが自己成長を阻害する場合もなきにしもあらず。年功序列的な風土があれば個の能力が評価され辛いというジレンマもあります。彼はそのあたりのバランスをうまく取りながら働いているようですが、AIなどテクノロジーの進歩を客観視すると“組織に属してるだけ”ではヤバいという危機感を持ったそうです。
個人の規模、つまり組織に依存しない個人の能力を上げないと社会に飲み込まれると。
そこで彼は異業種交流会などに積極的に参加し、そこでの出会いや縁をキッカケに今は個人でいくつか動いてるようです。彼の話で印象的だったのは、
最初は(今やってることに)興味なかったけど、やってみたら案外面白かったんよね〜。やってみないとわからんっちゃんね。やってく中でいろんなこと繋がってるやん!って思うようになって、いろんなことに興味を持つようになったっちゃん。
という部分。やりだしたらそうでもないけど、やるまでが面倒臭いという経験あるんじゃないでしょうか?やってみりゃいいんすよね。結局。エンジンさえかけてしまえば動けるんだから。
自分もいつも気をつけてることですが、自己満の域で終息しないこと。
自己啓発本を読んだり、起業家のセミナーを聞いたり、刺激的な情報を得るとある種の快感に包まれて、高揚感を持つことってあると思います。そこで終わってることも多いかもしれませんね。ただ、それは、自己満の域を抜けてないと自分は思ってます。
いいなと思ったことは自分もやってみる。小さなことでもいいと思うんです。なんでかっていうと忘れるからです。エビングハウスの忘却曲線によると人間は1時間後には50%以上のことを忘れ、1ヶ月もすれば約80%のことを忘れる生き物です。
それに自分でやってみると人に話せる。経験値が貯まる。別にやってることをひけらかす必要はないですが、経験を誰かとシェアするのもいいと思います。自分も読書会やオンラインコミュニティなどに参加して、自分が得たものをアウトプットするようにしています。アウトプットせねばと思うと自ずと経験しておこうとなりますし。
彼は終始「今が楽しい」と言ってました。自分から動くことで、能動的に情報と触れることができるようになりますし、能動的な分、アンテナもビンビンに張ってる状態なので、いろんなことに気づけるようになりますよね。
「思ってても口にしなければ思ってたことにならない」という言葉がありますが、「考えててもじっとしてるだけじゃ考えたことにならない」と置き換えることができると思います。
じっとしたまま考えるんじゃなく、”動きながら”考えていきましょう。
これが「アクション格差」なんでしょうね。