どうも、佐々木(@moto_ssk)です。
こうしてブログを書いていますが、アクセス数というものを気にしてません。
書き始めたころや、ブログでお小遣い稼ぎしようとか考えてたときは1時間に1回くらいGA見たりしてました。「このネタ受けるのか?」とか「結構丁寧に書いたつもりだけど全然…」とか。
気づくと「書きたいこと < アクセス数」になってしまって、書くのが億劫になったんですよね。
それを機に、今は「書きたい」ことを書きたいように書いてます。まあ僕にとってブログはセラピーみたいなもんです。
それでも僕の「書きたい」を楽しみにしてる人がいるのであれば、この上ない喜びです。
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とはいえ、ブロガーからするとアクセス数は死活問題ですよね。こんな記事が出ようもんなら「さて、次の手はどうするか」と躍起になっている方もいると思います。
👆の記事が言ってることは、
Googleの検索結果の進化により、いまやページを踏まずとも「欲しい情報」が手に入る
ということです。どれだけ丁寧にページを作っても、Googleの検索仕様のアップデートにより、そのページ自体見られる機会が減るということです。検索流入の頼みの綱であるGoogle自体に翻弄されてしまう形ですね。
このような議論があるとどうしても「ブログはオワコン、次は動画」となり、ブログを捨てYoutuberに転身する方が続々出てきますね。もちろん動画自体を否定しているわけではありません。
ただ、これはあまりにも短絡的というか。これに関してはジャーナリストの佐々木俊尚(@sasakitoshinao)さんがズバッと一刀両断しています👇
「これからは動画」「ブログは終わった」のようなチャネル発想には意味がなく、大事なのはどうすれば的確に読者に伝わるかということ。「発信方法は手段に過ぎない」/Googleがウェブサイトをできる限り踏ませないように進化している今、ブロガーにできることは何か https://t.co/mkeoRpGgFC
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) December 20, 2018
そうだよね。に尽きます。ブログも動画も発信方法のひとつなので、
という「発信したい内容」を始点に考える必要があります。図にするとこんな感じ。
それなのに、それでも人は「ブログだ!」「動画だ!」という表面的なことに食いつくのか。
それは単純にわかりやすいからです。アカウント作成して、自分のページ用意して、いくつかコンテンツを用意すれば「やってる」状態に持っていくことができるから。「ふはは、俺もブロガーだ!Youtuberだ!」と言えるからです。
でも、ブログや動画は発信方法のひとつ。発信したい内容がなければ行き着く果ては枯渇です。ネタ不足ってやつです。(本当はネタがあるんだけど棚卸しできていないだけ状態も多い)
そして、ネタに困った挙句「人生がコンテンツ」みたいな発想になってるんじゃないかと。最近は誰しもが自分の人生を赤裸々に世界に公開しすぎのような気がしてます。いつしか「人生がコンテンツ」は「なんでもあり」に変わってるように思うんですね…
「人生すべてがコンテンツ」はある意味そうなのかもしれないけど、だからって何やってもいいというわけではない…目先のマネー欲しさに誰も簡単に真似できない(もしくは真似したくない)ことに、これ見よがしに手を出す構図があるように思う。
— 佐々木基之 (@moto_ssk) December 11, 2018
「わかりやすいもの」は「マネしやすい」です。しかもそれで「マネー」が手に入るとわかれば、尚更みんながやり始めます。
ただこれ、見方を変えればみんなでマネーの奪い合いをしてますよね。
じゃあどうするか?というと、先に紹介した記事の中ではひとつの方法として「指名されること」が挙げられています。「この人の記事読みたい」の状態をいかに作るか?ですね。
ちなみに僕における「この人の記事読みたい」の「この人」はこんな人です👇
ザワザワと大きな声で話すかのように燃える業火みたいな人より、ジワジワと静かに燃える暖炉の薪のような人に、めちゃ興味が湧くし、知的興奮が高まる。まさに「太陽と北風理論」なのであります。
— 佐々木基之 (@moto_ssk) December 21, 2018
周りが「○○だ!」とザワザワしていても、それにパクつくのではなく、認識しながらも冷静に俯瞰して、分析して、きちんと理由を持った方法を選ぶ人、です。
やはり、「ブログ」「動画」のような方法論はいくらでも加工、編集、転載できます。でも、自分が抱いた感覚、思考はまさしく「唯一無二」ですよね。誰かと「=」が成り立つことなんでほぼないんじゃないでしょうか。
僕も講師業では指名されることが多いです。なんで指名されるかを考えると、一辺倒なフォーマットでこなすのではなく、その時々でいろいろやり方を変えながらトライしているからかなと。(あくまで自分の意見ですが)
やってる最中はそれが唯一無二かなんてわかんないけど、だからって他人の真似をしても自分のなかに残るものはほぼないですよね。「疲れ」くらいでしょうか…
結果を受けて次につなげるには、やはり小さなトライは必要です。小さなトライには当然、理由が必要になってきます。
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繰り返しになりますが、ブログも動画も発信方法のひとつです。
いずれも方法なので一長一短があり、当然「この視点で見れば確かにオワコンかもね」は成り立つと思います。ただ、それが「全て」ではないですよね。用途によって方法は栄枯盛衰です。
表面的な華やかさに捉われると思考停止になりがちです。少なくとも僕はそう。アクセス数に捉われたように…。
だからこそ観察を怠らないようにしてます。
観察し、仮説を立て、検証するサイクルを回すためにも、今後も「書きたいこと」を書きたいように書いていきます✍️