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パズルのピースを「ひとりの人」と捉えていろいろ考えると結構面白い

パズルのピース

この間、福祉のセミナーに参加したとき主催者の方とこんなやりとりをしました。

佐々木:ITの世界と福祉の世界の円グラフが重なる部分ってありますよね。

主催者:重なる部分は絶対あるよね。現状を良くしていくために、あれもこれも手は出せないからこそ、得意な部分を持ち寄るとよさそうだよね。

佐々木:パズルのピースみたいな感じで得意な部分、不得意な部分が互いに補って形になるといいですよね。

主催者:自分がどんなピースなのか明確にすると、自分は何と繋がればいいか見えてくるね。

パズルのピースを“1人の人”として捉えると結構おもしろくないですか?

ピースの凸凹を人の長所と短所と捉えてみる

パズルのピースって出っ張っている部分と凹んでる分がありますよね。

どれもこれも凸凹した形をしてます。

この凸凹を人の長所や短所として捉えてみてください。

人って誰しも長所と短所があるじゃないですか。

真四角なピースがないように、何の特長もない人っていないと思うんです。

得意な部分があれば、不得意な部分もある。

でも人って、不得意な部分を自覚するとそこを恥ずかしく思ったり、なんとか得意な分野に持って行こうと頑張ったりします。

もちろん、不得意な部分を頑張ってフラットに、そして出っ張りに変えていくことは大変素晴らしいことです。

でも、無理に頑張って自分の出っ張りがかき消されるのはちょっと残念です。

ピースを見ると、得意な部分、不得意な部分があっていいんだと思えませんか?

自分はどんな形なのか認識する

ピース1つでは大きな絵は描けません。

でも必ずどこかに唯一無二の場所があり、絵を描く上で不可欠なピースです。

人も同じじゃないかなと思いませんか?

こんな自分がどんな人のどんな役に立つのだろう?とか、自分は何ができるだろう?とか漠然と考えると、自分の出来無さ加減に落胆したり、自分の未熟さにがっかりしたりしがちです。

でも、自分にしかできないポジションや役割ってあるはずです。ピースのように。

ピースと人で大きく違うのは、

  • 自分がどんな形なのかを認識すること
  • 大きな絵をイメージして、俯瞰できること

の2つじゃないかなと考えます。

パズルではどんな絵を描くのかをイメージした上で個々のピースを見ます。

すると、大体の場所がわかります。そして徐々にピースを当てていきますよね。

人の場合だと、どんな絵を描くのかイメージしないまま、自分の形を認識しないままパズルの上にでかけるという感じになっちゃうのかなと思います。多くの場合。

そうすると、自分はいったい何がしたくてここにいるのだろうという考えが生まれ、めんどくさくなり、わけわかんなくなり、思考停止なんてことになりますよね。

重要なのはパズルをするときには当たり前にやっている、絵のイメージと、そして、形の認識ではないかと思うんです。つまり自分はどんな特長を持っているのかを認識することですね。

最終的な絵は日々更新され続ける

パズルと人生で大きく違うのは、最終的に描く絵は日々更新され続けるということじゃないでしょうか。

人生ってパズルみたいに綺麗な絵になればなんともHAPPYなんでしょうけど、なかなかそんなに素敵に事は進まないですよね。

めちゃくちゃ楽しいときもあれば、もう生きていくこともしんどいくらいに落ち込むこともあるし。

人生において最終的な絵は重要なのでなく、その時々でどんな絵をイメージしてどんな色を塗るか?ということなのかもしれません。

しかも1人で絵を描かなくても、いろんな人達と1つの絵を描いてもいいだろうし。

その瞬間、その時々で自分がどんな絵を描くために、どのピースになるかは自由というのがパズルにはない、人生だけにある楽しさなのかもしれません。

(パズルにおいてピースがその時々で形を変えたらこっちはたまったもんじゃありません笑)

適材適所はある

人生はどんなピースになるかは自由だ!と、とっても啓発チックな話をしていますが、適材適所はもちろんあると思います。

どこかの2辺が直線のピースでないと四隅に置けないのと同じように、人も適材適所はあると思います。

重要なのは、繰り返しになりますが、冒頭の主催者の方とのやりとりにもあるように自分のピースの形を認識することかと思います。

どんな絵をイメージして、誰と繋がるか、何をするか、どこが連携できそうか。

まずは自分を知ることってやっぱり大事な気がします。

自分を知る

難しいですが、自分を一番わかってやれるのは自分なのかもしれません。