つい先日、朝7時半から3時間ほど後輩とカフェしていたときの話。
自分で決断するという機会が減ってきているんじゃないだろうか
終始このテーマで話していました。
決断するという行為は数ある選択肢の中から1つを選定する行為だと思います。
最近思うことは、選択肢がそもそも多くないから決断することができないという状態になっているのではないかということです。
選択肢というは自分の経験から作られることが多いと思います。
例えば、体験したこと、読書を通して自ら学んだこと、旅行に行き現地で感じたこと、など。自ら進んで得た経験からこそ選択肢は作られると思います。
ただ、今の子供世代(園児、小学生)はとても制限された中ででしか経験を積むことができてないのではないかと、最近考えます。
例えば、何かしようと思っても親による「危ないからダメ」「誰もしてないからダメ」「汚いからダメ」というダメダメの包囲網が張られるのではないでしょうか?
他にも小学生や中学生の頃に進路を決めるにあたり、子供の意思よりも親の「将来のために進学校しかダメ」や「せっかく勉強できるんだから進学校に行くべき」というような期待や思い込みによりある程度の選択肢しか与えられなかったり。
子供にとっての選択肢は、すべて親や周りの大人によって用意されている状態になってるんじゃないかと思うのです。
自分で選択肢を創る機会が圧倒的に少ないのではないかと思うのです。
子供のころ親から受ける影響は大きいと思いますし、今の世の中、親以外の大人と触れる機会は本当に少なくなっていると思います。
身近な大人が親しかいない場合、その価値観は大きく偏ると思いますし、それは子供の将来を考えると勿体ない気がしてなりません。(僕は親になったことがないので偉そうなことは言えませんが。)というか、本当によくないことだと思います。
最近思うことは、若い世代が将来の職業を考えた際に思い浮かべる選択肢は本当に少ないのではないか。特に田舎、地方出身なら。少なくとも自分の中には、公務員、農家、教師 くらいしかなかった。高専にいた頃でも+エンジニア 程度だった。これは仕事してるイメージができる職業についてのお話。
— Motoyuki Sasaki (@moto2319) 2015, 1月 30
その結果、就活を目前に急に業界知らない!仕事知らない!となるのではないか。知ってる範囲でしか仕事選びができず、結局やりたいことと違う とか イメージと違う というケースに帰着するのではないだろうか。人は何かを決める際、当たり前だけど知ってるものの中からしか決めることはできない。
— Motoyuki Sasaki (@moto2319) 2015, 1月 30
将来何がしたいか?というのは結局、小さい頃からの経験に基づき考えざる得ないと思います。小さい頃に身近な大人が親や学校の先生しかいなければ、自然と自分の将来も彼らに重ねてしまうと思います。これは仕方がないことだと思います。だって知らないことは選択肢にもならないですから。
そうやって若い世代の将来の選択肢を増やすことが必要なのではないか。選択肢が増えれば自分で決断するという機会もやってくるだろうし。地元の雇用促進は、このような教育現場から変えていくことができるかもしれない。自分で考える、自分で決めるという機会がとても少ないのが現在なのかもしれない。
— Motoyuki Sasaki (@moto2319) 2015, 1月 30
自分で決断する機会を増やすには、とにかく実体験することが一番かなと思います。
ただ何でも実体験を積むことは難しいと思うので、疑似体験することもひとつだと思います。
そのひとつに大人と触れることがあると思います。
近所のおじいちゃん、おばあちゃんと話すことでおじいちゃん、おばあちゃんが大切にしていることを疑似体験できる。
地元で働く大人に仕事について話をしてもらう。そうすると仕事は経験できなくても、仕事を通して感じることを疑似体験できる。
大人と多く触れれば触れるほど、疑似体験を多く積むことになり、それが将来の自分の選択肢を創ることに繋がるのではないでしょうか。