どうも、佐々木(@moto_ssk)です。
先日、Mr.Childrenの最新アルバム「#重力と呼吸」が発売されましたね💿
買ったその日から僕の中ではエンドレスリピートで、まさにこの記事も「重力と呼吸」を聴きながら書いてます。
繰り返し繰り返し聴くことで、「内省」というキーワードが頭から離れません。
ついに、ついに…!#mrchildren のニューアルバム「#重力と呼吸」💿
目の前で歌ってるかのような、目の前で演奏してるかのような、生々しい息遣いが聞こえてくるような、まさに呼吸のようなアルバムだ🎧 pic.twitter.com/YMatoSdNAz— 佐々木基之 (@moto_ssk) October 8, 2018
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僕は中1のころにミスチルに出会って、それ以来ずっと聴いてるんですが、今回のアルバムはこれまでになく、桜井さんの(ミスチルの)エゴさを強く感じるんですね。
「#重力と呼吸」を聴いてて、桜井さんが「ごめん、ちょっと歌わせて」って言ってるかのような強引さを感じるんですね。収録曲を1曲1曲耳に当てると、全部が全部、マイクを握りしめてシャウトしてる桜井さんが浮かぶ。
「いつまでも叫び続けてほしい」と余計に思わせてくれるhttps://t.co/z2EvT1AAok— 佐々木基之 (@moto_ssk) October 9, 2018
タイトルが「重力と呼吸」だし、実際JENの「ワンッ!ツーッ!」って声から始まるし、まさに目の前で歌ってくれるかのような生々しい呼吸を感じます。それゆえ、世界観に引き込まれる見えない重力が働いているような感覚があります。
ただ、それは感覚にすぎないのかなと思ってたんですが、あながち間違いでもなさそうだと。
👆は今回のアルバムをリリースした桜井さんへのインタビュー記事です。
ファンとしては生みの裏側を晒してくれることで、さらに想いを馳せることができます。
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インタビューの中で印象に残った桜井さんの言葉をそのまま引用します。
「今はたいがいのものがネットを通じて音と視覚で入ってくる。自分自身が、言葉だけを見て、何かを想像したりイメージしたりする力が落ちてきてるなって感じています。だから、リスナーもそうなんだろうと思うんですね」
これを読んで僕が真っ先に思い浮かべたのが「現代人の読解力が低下している」という話題です。
文脈の中から言葉の意味を抽出するんではなく、その言葉に抱くイメージをそのまま短絡的に解釈してしまう、というのはTwitterを見てても感じる部分があります。
桜井さんはこうも言っていて。
「リスナーの想像力をあまり信用していないっていうか、もうきっとここまでのことを深く掘り下げて書いても理解しないだろうな、ただ通り過ぎていかれるだろうなっていうのがあるんです。」
たとえば、好きな人を思い浮かべることもひとつの想像力だと思うんです。
何をやってるんだろう?何を感じたんだろう?どう思ってるだろう?と、答えのない問いを繰り返していく。これは「想像力」のひとつの正体だと思うんですね。
親指ひとつで相手の心がわかってしまう現代において、答えのない問いの答えを無理くりテキストという形で表現することを繰り返すうちに、想像すること自体から縁遠くなってしまったのかなと。
それが読解力の低下にも影響しているように思います。
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テキストにすることで誰しもが見えるようになり、見えるがためにいろんな反応がきて…
いつしか反応を怖れるようになり、表現すること自体を避け、当たり障りない言葉を選び…
当たり障りない言葉を選ぶことで、自分の内面を振り返ることもなく…
自分の内面がよくわからないから、自分の言葉で表現すること自体が怖い。
こういうループが知らず知らず自分の中に出来上がり、知らず知らずどこかの誰かが言っていた表現や言葉を拝借する、楽な方へ楽な方へ流れやすくなったのかもしれません。
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桜井さんの場合は仮にテキストで表現しきれなくても「音」で表現することができます。
でも、僕はただの凡人なので「音」で表現することはできません。
じゃあどうやって表現するか?
それは「自分自身が何を感じたのか」という自分の内面部分を言語化することなんだろうと。
自分の内面の変化を言語化する習慣をつけることで、想像力がまた目を覚ましてくる気がしてます。
すなわち「内省」なのかなと。桜井さんの言葉を借りれば、「自分の叫び」なんだと。
「今もなお叫びがある、そのこと自体がメッセージになり得るから」