どうも佐々木(@moto_ssk)です。
Twitterを見てたら「自己肯定感」に関するツイートが目にとまりました👇
自己肯定感というのは、「私はこんなに賞賛されている」「私はすごい・えらい」ということではなく、「褒められはしなくとも私はここにいていい」ということではないですか
— ジェシー(LINEスタンプこねり編) (@Jecy_Losika) August 26, 2018
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あまり「自己肯定感」について考えたことはなかったんですが、こうやって文字にされると前者は「自己陶酔」って感じがしたんですね。
こうやって文字にしてもらうと前者は「自己陶酔」って感じがするね。 https://t.co/p1ub9Hvr6K
— 佐々木基之 (@moto_ssk) August 27, 2018
そこで「自己肯定」について調べてみたんです。
自らの存在意義や価値などに関する積極的な評価、自己評価することなどを指す表現
出典:weblio辞書
いかに、自分で自分のことを認めてあげることができるか、ですね。
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とはいえ、「自分のことを認める」ことは「他人を認める」以上にハードルが高いと思います。
その根本を探っていけば、「日本の教育」に行き着くと僕は考えてます。
得点、偏差値、成績、順位、など外部に作られた基準により自分が評価される教育を受けているからです。
また、評価基準は数値であるため、自分のなかに数値的に優れている点がないと不安になり、認めづらいという心理を作っていると考えます。
ただ、同じような教育を受けきた人のなかにも自己肯定感が高い人はいますよね。
何がそれを分けるか、については「数値以外の評価基準」を手に入れたことではないかと。
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例えば、
など、数値には置き換えづらい肯定的な意見に数多く触れると数値以外の評価基準を手に入れることができますよね。単純に「ありがとう」って言われたとか。
子供のころは「すごいね!」「ありがとう!」と褒めてもらう機会が多いですが、大人になればなるほど機会は減りますよね。まあその裏には「これくらい当たり前やろ」が当然あります。
それに大人になると「謙遜」というへりくだることを覚えるので、余計にドヤしづらいですよね。
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人って面白いと思うんですが、関係の薄い人や全く知らない人には「すごい!」とか「ありがとう!」とか言いますよね。でも関係の濃い人(夫婦、恋人、家族)にはなかなか言えない。
そういう意味でSNSはある意味、自己肯定感を高める場なのかもしれません。
Twitterなんて「ドヤ」感丸出しの人いっぱいいますしね。
これがfacebookになっちゃうと友人、知人たくさんで「ドヤ」しづらいです。
ただ「言ったもん勝ち」なのも事実です。自分で宣言することで「やらねば」も生まれますしね。
主語を意識するだけでも変わってきますよ。「俺はこうしたい」みたいに。
最後に西郷隆盛の言葉を紹介します👇
人は天命というものを天から与えられ、それに従い生きているのである