どうも、佐々木(@moto_ssk)です。
先日、Twitterをフォローしていただいた方のタイムラインと見ていると「あ〜これめちゃわかるなあ」というツイートを発見しました👇
知らない知識があると悔しいからひたっすら調べる、調べて調べて聞いて調べる
— しい¦w i n k (@shii_msc) September 26, 2018
僕もめちゃ悔しい。ということでリツイートした次第であります。
知らないと会話についてけないし、なにより輪に入れない悔しさたるや。
なんでも輪に入るってわけじゃないけど、スプーンですくえる程度の断片的な知識だけでも備えてたい。それに、講師やってると思わぬ場面で"知ってること"が役立つときがある。自分でも調べると自分の言葉で話せるしね。 https://t.co/wwQlEUoBWD— 佐々木基之 (@moto_ssk) October 5, 2018
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ツイートしたように、僕が知識を得たいのは話の輪に入るためが主目的ではありません。
輪に入れるかどうかはあくまで結果であり、主目的は知的欲求を満たしたい、ただそれだけですw
僕は「知らないことを知る」という行為自体を楽しむ性質がありまして…まあその分、ある程度「知れた」と思ったら次の「知らないこと」に移行するのでサイクルは早いです。
「知りたい」って欲求の赴くままなので、「なんで知りたいの?」と聞かれても「だって知りたいから」に尽きます。
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「知ってる」って状態を作っとくと、どっかで役立つことがあることも。
僕は講師をやってるんですが、10人が10人、同じ説明をして理解できるわけではありません。人によって理解ポイントは変わるので、いかにそれを探り当てるかがまず大事です。
そして探り当てたものが「アニメ」「歴史」「料理」などなど、人によってバラバラなんですね。
そんなとき、自分が知ってる周辺知識をピックアップして、理解ポイントに当てはめていくと、そっちの方が理解できる!というパターンが多いんですね。
自分の欲求を満たしてるだけだと、ただの「点」情報なんですが「線」になることもあるんです。
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講師をしてると、よく思うのが「知ったかぶり」をする人の多さたるや。
わからないことは恥ずかしいことではないのに、恥ずかしいと思い込み、知らないことを平気で知ってると知ったかぶる(こちらから見ると「知ったかぶり」してるのは見え見えです…フワっとしたことしか返ってこないですから)。
知ったかぶるのが一番恥ずかしいですよ!(あとあと自分を苦しめますしね)
とか言いながら、僕も最初は「知ったかぶり」してました…
「えーこいつこんなことも知らねぇの」って思われるのが嫌で嫌で。
ところが、恥の一時しのぎができても「知ってるはず」という重荷は気づいたら立ち上げれないくらい重たくなるんですよね。いざというとき「やっぱ知らないんだ」となる方がよほど恥ずかしい…
なので、これは僕の実体験からくる話でもあるんです。
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そもそも世の中、知らないことがほとんどなんです。
こちらのグラフを見れば一目瞭然ですが、インターネット上の日本語情報はたった3%*です。
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自分がすべてだと思ってる情報は座標軸を変えると、途端に見え方が変わります。
3%の日本語情報のなかで、自分が知ってる情報を考えると…むしろ「知らないことだらけ」ですね。
知らないことを恥じるくらいなら、知らないことを受け入れて、知ろうとするほうがよほど有益。
知ろうとするなかで、また新しい発見もあったり、知れば知るほど好きになったりしますしね。
まあ、何から何まで細かく知る必要はないですし、専門家を頼ればいい話ですが、頼ろうにもある程度の共通言語(共通知識)がないと難しいですよね。
スプーンですくえる程度でも、あるとないとじゃ大違いです。