「希望も不安。どっちも正体は同じものだと思うんです。」
以前このブログでも紹介した、作家の喜多川 泰さん。この言葉は喜多川さんの言葉です。
福岡で講演することを知り、行ってきました。
講演でのお話が素晴らしく、忘れないようにと備忘録代わりにブログを書きました。
約1年ぶりのブログが備忘録ですが、最後まで読んでいただければ幸いです。
先月は4月。日本では新生活や新学期が始まる月でもあります。
新しい生活、仕事が始まる前というのはいろんなことを考えると思うんです。
新生活を前に不安なこと、楽しみなこと、本当にいろいろと想像すると思います。
喜多川先生の講演の中で得た言葉の中で一番印象に残ったのは「未来を想像する力」でした。
喜多川先生は想像には2種類あるとお話なさっていました。(大体以下のような話)
人は2つの考え方を持ってます。ポジティブな考えとネガティブな考え。
ポジティブな考えで未来を想像すると、それは希望に変わっていきます。
ネガティブな考えで未来を想像すると、それは不安に変わっていきます。
希望も不安も、どちらも正体は同じ。同じ想像なんです。
言われてみれば、確かに!と思いました。
皆さんも納得する部分があるのではないでしょうか。そして、こう続けられました。(大体以下のような話)
未来を希望だけで埋めると、人は行動したくてたまらなくなります。ジッとしておけない。
未来を不安だけで埋めると、人は何もしなくなります。現状維持しようとする。
でも現状維持は緩やかな崩壊なんです。
またもや、確かに!と思いました(笑)
そして「人生は下りのエスカレーター」の話を思い出しました。
人生を下りのエスカレーターと捉えると、何もせずジッとしていることはゆっくりと降りることになる。少しだけ早く歩いても降りるまでの時間がちょっぴり長くなるだけ。下るスピードよりも速いスピードで動き続けないと現在より一段上には行けない。
という内容だっと思います。
現状維持は緩やかな衰退である
エスカレーターの例はわかりやすいと思います。人はどうしても慣れていることが楽でいいし、考えないで済むし、余計なことしなくて済むので今まで通りを好む傾向があると思います。
でも、時代の流れという言葉があるように、時代は流れています。確実に僕も1年に1歳、年を重ねています。それは避けられない事実です。
喜多川さんがお話する「希望と不安」の切り口からでも同じことが導かれていました。
何もせず、ジッとして時の流れに身を任せることは衰退(心の老い)だと思いました。
※実際に下りエスカレーターを上ることは非常に危険ですので、絶対にしないでください!
喜多川さんは最後にこうまとめられていました。
未来を希望だけで埋めることも、不安だけで埋めることも、どちらも心の状態は不健康なんだと思っています。
心が健康であるというのは、希望も不安もどちらも入り混じっていること。
この希望と不安が入り混じる中から、何かを選択し、一歩踏み出すこと、これこそが勇気なんじゃないでしょうか。
誰だって将来は不安ですよね。だって人間ですし。
ポジティブに考えることもあれば、ネガティブに考えることもある。でもそれが人間らしさですね。振り子のように希望と不安を行ったり来たりする中で一歩踏み出す。
その一歩を積み重ねられた人たちが、各分野のスペシャリストでありエキスパートなんじゃないかなあと感じました。
自分に足枷つけてジッとせず、一歩踏み出す。
そして、できるだけで早い間隔で二歩目を踏み出す。そういう意識で過ごしたいと思います。
まだまだ書きたりないので、別の機会でまたブログにまとめようと思います。
個人的なオススメ作品もまとめてますので、ぜひご覧ください。