どうも、佐々木(@moto_ssk)です。
大河ドラマ「西郷どん」おもしろいですね〜毎週日曜20時が楽しみで仕方ありません。「西郷どん」を観ながら、ふとこんなことを思ったんです👇
大河ドラマみてると、同じ人物でも誰視点かで良い奴にも嫌や奴にもなる。そう考えると客観的と言いつつも、誰かしらの主観が大きいってことなんだろうな。客観的な主観。だから議論も生まれるし、批判も生まれるんだと思う。
— 佐々木基之 (@moto_ssk) August 20, 2018
「主観」と「客観」とありますが、「客観」も誰かの「主観」じゃないかと。
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例えば最近登場した坂本龍馬。彼はどの藩から見るかで善人にも、悪人にもなりますよね。
果たして彼が善人なのか、悪人なのかはわかりませんが、唯一わかることは「坂本龍馬」という人間が存在したことであり、その事実は不変です。「客観」と言えるものはもはやこれだけです。
何が言いたいかというと、自分が「客観」だと信じていることは、誰かの「主観」かもしれないよ?ということです。
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カウンセラーやアドバイザーなど、人を客観的に評価して、意見する立場の方は数多くいらっしゃいます。でも、その意見自体が本当に客観的な意見かというと僕はそうは思いません。
人を介して、脳を介して出た言葉は、その時点でその人の「主観」が乗った意見です。
なので、人の意見を鵜呑みにする必要は一切ないです。むしろ「そういう意見もあるか」程度で捉えておく方が精神衛生上も安全です。よく、「あ〜自分は…」と塞ぎ込む人を見かけますが、もったいないです。言わせとけくらいのノリでいいですよ。
それもあって、僕は「べき論」が嫌いです。「べき論」で片付けるのは簡単ですが「べき論」を持ってくる時点で、少なからずその人はその考えを信じている・傾倒していることを表してるじゃないですか。
僕が「べき論」が嫌いな理由はこちらのnoteで書いてるのでどうぞ👇
少し話がそれましたが、人の口から出る以上、客観的な意見はないだろうと。
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ただ、自分を「客観」することはできます。
それはブログなど、自分の考えを可視化したものを通して、です。
もちろん、ブログを書いている時点は自分の「主観」が100%です。いくら客観的な目線で記事を書いても、「客観的な目線で書こう」と思ってる時点で、もう「主観」が入っちゃってます。
ただ、ブログを書いて1ヶ月、3ヶ月、1年と時間を空ければ空けるほど自分の考えを客観的に見ることができます。当時の「主観」を覚えていることはほぼ無いので、他人が書いた記事を読んでいると言っても過言ではありません。
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人の意見を気にしすぎる、人の意見に流されやすいのであれば、いったん客観的な意見から解放され、「自分」を主語にして取り組んでみてください。
だって、人は「主観」が100パーセントなので。