どうも、佐々木(@moto_ssk)です。
お寺や神社に訪れるとお賽銭をして、お願い事をして。
お寺や神社に訪れるだけで心が安らいだり、神頼みだ!と藁にもすがる想いになったり。お寺や神社には不思議な力がありますよね。
ところで「鈴虫寺」というお寺を知ってますか?このお寺、願い事が叶うお寺として有名なんです。
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「鈴虫寺」の実の名は「華厳寺」と言います。
なぜ「鈴虫寺」と親しまれているのかというと、ズバリ1年中鈴虫が鳴いているからなんですね。
いやいや、鈴虫って秋に鳴くもんじゃん…
はい、そのとおりです。なぜ秋にしか鳴かない鈴虫が1年中鳴いているのか。しかもお寺で。
その理由はぜひ直接訪れて説法を聞いてほしいのですが…かいつまんで説明すると、昔々の住職さんがふと耳にした鈴虫の音色で心和んだことがきっかけだそうです。
鈴虫の音色をバックサウンドに聞く、住職の説法はめちゃめちゃ心に染み入るんですね。
#鈴虫寺 の説法はめちゃおもしろだった。内容はさることながら、話の抑揚、表情の作り方、くどくない程度に同じフレーズの使い回し、などなど、話術も鈴虫の音に匹敵する美しさだった。小難しい話じゃなく、日常を加工することで老若男女問わず笑顔にする。さすがでございます。
— 佐々木基之 (@moto_ssk) November 9, 2018
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改めてになりますが、鈴虫寺は願い事が叶うお寺として有名です。
他のお寺と何が違うの?というと、お地蔵さんなんですね。
鈴虫寺のお地蔵さん、実は「草鞋(わらじ)」を履いています。一般的なお地蔵さんは裸足。これが意味するのは何かというと「あなたのもとへ願いを叶えに行きます」ということ。
ここで登場するのが、住職の説法でとくに印象に残った「念願」の話。
体は今を生きてるのに、心は過去に捉われたり、未来を不安がったり。心が右往左往しますよね。
でも「念願」という言葉を分解すると「今の心で願う」だと。
つまり、まさに今、この瞬間の心で願いと向き合うことが大事だと説いていました。
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これってまさに現代社会に生きる僕たちに必要な視点だなと。
僕たちのコミュニケーションの中心はSNSですよね。SNSは過去何をしてきたのか?もログとして残るし、これから起こる未来のことも名前も知らない誰かの情報を参考にしたり。何が言いたいかというと、過去にも未来にもどんどん飛んでいけるということです。
これはとても便利なことで、なにより、そういう時代だからこそ、年代性別問わず多種多様な価値観を持って生きることができます。
一方で心を落としやすいことも事実。情報に翻弄されると言いましょうか。
人間不信、情報不信と表裏一体と表現することもできます。
そんなときに必要な視点が「今の心」なのかなと。
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住職はこうも言ってました。
自分の為になるか、損か得か、そういうことを考える前に、目の前にある、今なすべきことをしっかりやりきる。「今」と向き合い、余計な心の「荷」を捨て、すべきことに実直に取り組むことこそ、何よりも「美」しいことである
住職が話してる間もずっと鈴虫は鳴いているのに、美しいからか途中鳴いてることも忘れてました。
そう、すべきことに実直に取り組むことは何よりも「美」しいんですね。
現代は本当に便利な時代。便利という名が表すようにコンビニなんて身近も身近。
便利な時代だからこそ、説法の「今」「美」「荷」(コンビニ)も身近に感じてみてくださいね。