どうも、佐々木(@moto_ssk)です。
僕は講師としても働いていますが、常に意識してるのは「考える機会を奪わないこと」です。
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「考える機会を奪わないこと」は言い換えると「ハナから答えを教えないこと」です。
というのも、人が成長するときって「あ!そういうことか!」という小さな発見をいくつも積み重ねるときだと思っているからです。
答えを教えることで「なるほど」となっても、「そういうことか」に至るまでの考え方を知らないままでは、2度目、3度目と同じ質問を繰り返す可能性がかなり高いです。
👆の状態は例えるならぐるぐるバット。なんだか少しずつ景色は違って見えるけど結局同じところに戻ってきて、挙げ句の果てに混乱して進まない…みたいな感じです。
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では、何をもって「考える機会を提供した」になるのか?
これはあくまで僕のいち意見ですが、なんとなくでも受講者が自身の「ことば」で事象を表現することができたか?を目安にしています。
一方的に教えることは一番簡単。でも少し危険。教える側が「教えた気」になりやすい。
教えるって、互いに同じ絵が描けることだと思う。相手がある程度自分の口で、言葉で体系的に捉えられているか、を確認するまでが「教える」なのかなと。— 佐々木基之 (@moto_ssk) September 2, 2018
それは「ことば」でなくてもいいんです。身近なものでの例えでも構わないし、それっぽい図解でも構いません。受講者が自身の考え方(ロジックやプロセス)と向き合ってることを認知する状態を作ることが大切だと思っています。
なので、いきなり「正解」でなくてもいい。ひとまず、「こう考えた」を認知することです。
入江さん(@iritec_jp)の言葉を借りれば、考え方の「方向性」をいかに交通整理していくかだと。
いい先生とは「答え」は教えず「方向性」だけ教えてくれる人だと思う。
最初にデザインをやり始めたころ、社内でデザインを見てもらうんですが具体的な指示はなく「なんかダメだな」とか言われて、悔しい思いをしながら、何度も作ってた。
自分の頭で考えるプロセスを体験させてくれると成長する。
— 入江 慎吾 / Shingo Irie (@iritec_jp) January 15, 2019
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ただ、この交通整理は適したタイミングがあると思っています。
最初と矛盾しますが、ハナから答えを教える場合もあるんですね。
というのも、そもそも考え方の下地となる知識が不足している状態だと、考え方のキッカケすら掴めないので余計に混乱しがちです。目隠しをして歩いてるようなもんですね。
なので、
みたいな、下地となる情報については最初から提供しておいた方がいい場合もあります。
ある程度下地ができたら、あとは交通整理です。
「あ!そういうことか!」という小さな発見を一緒に共有することはなんとも楽しい瞬間ですよ✊