先日紹介した【無意識の整え方】。
前回はイントロ編として「無意識は意識よりも0.35秒も先に働く」ことを書きました。
今回は【無意識の整え方】に収録されている無意識を整える4つの対談の中から、
1つ目の「合氣道と無意識」を取り上げて整理していきたいと思います。
まず最初に、「氣」とはなんでしょうか?
合氣道にはいくつか流派がありますが心身統一合氣道において、
「氣」とは誰でも活用できる生命の根幹と捉えらています。
バッテリーのようなものと言うよりはもともと通っているものだそうです。
ここで漢字に注目して欲しいのですが合”氣”道です。合”気”道ではありません。
これにもしっかり意味があって、「気」は中身が「〆(しめる)」になっています。
「氣」は通っているものなので八方に広がる「米」の方がふさわしいそうです。
氣の交流が活発な状態を「元気」と言い、滞っている状態を「病気」と言うそうです。
「やりたくないな」と思いながら取り組む仕事や「行きたくないな」と思いながら出かけるときって効率が悪かったり、妙に疲れやすかったりしませんか?
実はこれ、心と身体をバラバラに使っているから起きるそうです。
本来、心と身体はひとつのものなのに、自分の心を目標に向けず、身体だけを使っているため能率も悪く、疲れやすくなるそうです。この状態を「心身分離」と言います。
一方、心と身体が同じ方向に向いている状態を「心身一如」と言います。
心身一如だと、能率も上がり、疲れにくく、何より楽しい状態でいられるそうです。
「心がこもってない!」と言われた経験はありませんか?
受け手は「心」と「身体」の方向が一致しているか無意識に確認しているそうですよ。
人は怒ったとき「頭に来た」と言い、緊張してることを「アガる」と言いますよね。
何が頭に来て、何がアガっているんでしょうか?
その正体は「意識」です。
臍下丹田という言葉を聞いたことがあると思います。
実はここが本来「意識」がある場所です。お臍の下ですね。
意識が臍下丹田にあるとバランスが良いそうです。実際に姿勢も崩れないんだとか。
意識してしまうとどうしても頭の方向に偏りが生まれバランスが崩れるそうです。
例えば、スポーツに初めて取り組むときのことを思い出してください。
うまくできないとき頭で理解しようとすることないですか?自分はよくあります。
実はその状態って頭に意識があるのでバランス的には非常に悪いです。
バランスが悪いので余計に身体に入ってきません。
意識しすぎると、逆に意識が邪魔者になってしまうそうです。
頭で考え過ぎず(意識しすぎず)、何度も取り組むことで無意識に入れる。
無意識に入ったとき、それは「習慣」になるそうです。
自分の場合、どうしても理屈的になってしまうときがあります。
「言語化したい」「論理的に理解したい」という具合に…
でも、そういうときほど「心」に入りづらい状況になっているんですね。
まさに「心身分離」です。自分で自分の首を締めていたわけです…
「氣」のように、抽象的な概念を「存在する」と仮定することで、
余計なことに意識しすぎず、すんなり受け入れられることもあるのかなと思いました。
「無意識に入れる」ってとても難しいけれど、何度も同じこと(型)を繰り返すことが一番てっとり早く習慣を作る方法なんだと思います。
次回は2つ目の対談である「仏教と無意識」について整理します。では。