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【無意識の整え方】「みずから」と「おのずから」のあわい

無意識と医療

今回は【無意識の整え方】に収録されている無意識を整える4つの対談の中から、
4つ目の「医療と無意識」を取り上げて整理していきたいと思います。ラストです。

今回の対談相手は医者であり医学者の方です。医学では「生命」や「幸福」という理屈ではなかなか割り切りづらいものも扱うそうです。それらと無意識はどのように関係しているのか?

医療は誰にとっても身近なもの。無意識を整えるヒントが多くあるかもしれません。

コミュニケーションは常に相手に選択されている

この人ならこの話しても大丈夫そう」「この人はバカにしそうだから話すのやめとこう」などと思った経験ありませんか?自分はあります。

対談相手である医者の方は、患者さんから突然臨死体験の話を聞かされたり、子供の患者さんからは胎内記憶を聞かされたりすることがあるそうです。しかし、医者がみんながみんな同じような経験があるかというとそうでもないそうです。

これを「無意識コミュニケーション」と表現しています。
人は話をしていながらも無意識にいろんな情報を感じ取り、相手に話すか否かを決めている。無意識のうちに相手のことを探り合っているわけです。

1つ目の対談に出てきた”氣”を無意識に感じ取っているのかもしれません。

日本において”美”が医療の役割を果たしていた

日本の医療の歴史には長い空白があるそうです。この空白の期間、何が医療の役割を果たしていたのかというと「」だそうです。

古事記や日本の古典では、人の死など受け入れられないことを受け入れるために、和歌を交換したり、舞いをはじめ、昇華させていた。日本では芸術(茶道、華道、武道、書道など)という”美”の世界に解決を求めていたのかもしれません。

日本の「道」はお作法が数多くありますし、能や狂言などでは”型”が数多くありますよね。”型”を繰り返すことの大切さは合氣道の対談でも、仏教の対談でも出てきました。

何より、型が無意識に入ることで心身一如の状態を作ることができますよね。

意識と無意識は「あわいの世界」

ここまで無意識の整え方を読んでいくと、意識と無意識を明確に区別するのはそもそも難しいと思うようになりました。これは意識的、これは無意識的という二元論では解釈が難しいと。そんなとき出てきたのがこちら(↓)

「みずから」と「おのずから」のあわい

「みずから」も「おのずから」も漢字にしてしまえばどちらも「自ら」です。あるときは「みずから」と読み、またあるときは「おのずから」と読む。さて、何が違うのか?

  • みずから:個人の意思や思考をあらわす
  • おのずから:運命的なものをあらわす

「みずから」と「おのずから」はこの両方の意味を持つあわいの言葉なんです。

「結婚することになりました」というのも、結婚を決めたのは自分たち(みずから)なのに、結婚するご縁があった(おのずから)という表現になっています。運命的なものを主張しすぎるのはダサいという日本人の美的センスなのかもしれません。

意識と無意識も二元論でなく「自ら」のようにグラデーションのような“あわいの関係”なんだと解釈することですっきりしました。

まとめ

今回「無意識の整え方」の4つの対談を1つずつ整理してみました。整理していくなかで、異なる対談であるはずなのに同じようなことを言っている場面がいくつもあることに気がつきました。

  • 型を繰り返すことで無意識に入れる
  • 心身一如で物事に取り組む
  • 感覚を無理に解釈しようとしない

感覚を信じるって不安な場合もあると思います。本当に直感を信じていいんだろうか?という具合に。ただ、どれだけ不安を抱いても、逆にどれだけ楽観してもやはりコントロールできない部分はどうしようもありません

唯一できることは、今目の前にあることに必死に取り組むことだけ。ただそれだけ。でも、それでいいと思うようになりました。

自分で決めたことを必死にやる。そしてあとは運命(流れ)に身をまかせる。

「みずから」と「おのずから」のあわい です。

今回を持ちまして「無意識の整え方」の紹介を終わります。ありがとうございました。