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「ことば」を通して得る「ことば」にならない感性にもっと目を向ける

嬉野茶

どうも、佐々木(@moto_ssk)です。

先日、妻と一緒に佐賀県の嬉野市にドライブにいってきました🚗

佐賀牛や嬉野茶、嬉野温泉のお肌トゥルトゥルの湯を満喫したのですが、訪れた場所場所で素敵な「ことば」にも出会いました。改めて「ことば」の奥深さに触れた機会になったんですね。

嬉野の名産といえば、いわずもがな「嬉野茶」ですよね。

嬉野市には、”お茶を学び、お茶に触れ、お茶を味わう”ことができる、うれしの茶交流館「チャオシル」があります。(「お茶を知る」でチャオシルなのかな?)

実際に行ってきたんですが、なぜ「嬉野茶」が名産となったのか?のストーリー、「日本とお茶」の歴史、千利休についてなど、お茶にまつわるエピソードが綺麗に丁寧に展示してありました。

そこで出会った「ことば」がこちら👇

嬉野茶

展示コーナーから喫茶スペースに抜ける最後の壁に書いてあることもあり、「お茶ばのもうか」と妻と話し、さっそく喫茶スペースにて嬉野茶を味わいました🍵

直前に「お茶の歴史」に触れたからか、ひとくちひとくち「味わいながら」飲んでたように思います。

正直、お茶に対して「好き」とか「嫌い」という概念がないし、飲料物のひとつだし、お茶そのものへの興味は一切ありませんでした。でも、ストーリーを知ると「どうでもいい」とは思えないんですよね。

  • お茶は贅沢品だったのか
  • なぜ「○○茶」という多様なブランドが構築されたのだろう?
  • 「お茶」って場の雰囲気を和らげる役割も担ってたのかな?

なんて疑問が次々に湧いてきて、気づけば「お茶の世界は深いな」とまるで印象が変わったんです。

お茶そのものを味わっていると同時に、お茶の「ストーリー」を味わっている感覚でした。

そんなことを考えていると、僕らひとりひとりにも「ストーリー」があるよなあと。そして、目にする、手に触れる、耳に聞く、すべての刺激にも同様に「ストーリー」があるなと。

ただ、僕(ら)がよくやっちまうのは、ストーリーを割愛して目の前にあることだけ見てしまうことなんじゃないかと思ったんですね。

「見てない」んじゃないくて、「見ようとしてない」と言った方が適切かもしれません。

読書もそうかもしれませんが「流し読み」ばかりになっているかもしれないと。

わび・さび」という言葉を聞いたことがありますよね。

では「わび・さび」の意味をご存知ですか?

「あ〜聞いたことある!でも…意味は…知らんっ!」かもしれませんね。僕もそうでした。

「わび・さび」はこういう意味だそうですよ👇

さびが表面的な美しさだとすれば、わびは内面的な豊かさ。

「ことば」を通して得る「ことば」にならない感性にもっと目を向けていいのかもしれません。

僕(ら)はどうしても「正解」や「効率」を求めがち。でも、感性に正解も不正解もないはず。あるのは「こう感じた」「こう疑問を持った」という事実のみですから。それと向き合って、自分のなかで消化(昇華)させていくプロセスこそ、実は怠ってはいけないことなのかもしれません。

ちなみに僕は、怠らないためにブログを通して「ことば」に昇華させています。(まあ、その行為自体が楽しいんですけどね)

みなさんも、この「ことば」を思い出してみてください🍵

 

お茶ばのんでいかんね。ゆっくりしていきんしゃい